会 長 挨拶

 私は「東京台湾の会」会長の喜田修(きだおさむ)と申します。「東京台湾の会」は当初、東京の練馬方面在住の台湾に所縁があり、台湾を愛する有志の方々の懇親の場として発足いたしました。爾来、今日まで30年、日台親善交流、台湾に対する理解の増進に資する諸事業を推進してまいりました。


 ご承知のように、現在日本と台湾の間には、国交はありません。しかしながら、経済文化等を中心に、双方の関係は極めて良好かつ密接です。観光等の人的往来も増加の一途を辿っております。更に、東日本大震災に際しましても、台湾は多額の義捐金(世界最高額)を拠出する等、温かい支援の手を差し伸べて頂いたことは、私は一日本人として、子々孫々末永く語り継いで行くべきだと思っております。


 我々「東京台湾の会」は諸先輩の築かれた基礎の上、日台間の相互理解、友好親善関係を更に発展させるため、一層努力を傾注し、日台の「架け橋」としてしての役割を果たして行きたいと念願いたしております。 







                                  東京台湾の会 会長 喜田 修


副会長 挨拶

東京台湾の会副会長を拝命して


 台湾に関しては、まるで身内の話のように語る自分がいます。このことは人生子育ても中盤にかかり、やっと自分の有り様を見つめていく年とも重なり、台湾駐在という貴重な体験をするということとも重なったからです。夫は台湾に名を遺すほどの仕事をこなしながら、父親として子供たちに背中を見せていた時でありました。

 

 息子は英国、娘は日本、そのころ両親はまだ健康でしたから、自分を見つめるには、いい時間をもらえていたとうことでした。興味は日本と台湾の関係に向きました。友愛会という日本語世代の方々が集まる会合に声をかけられ、出席するようになり、新しいことの発見の毎日でありました。

 

 そんな日々を過ごす中、日本の戦後教育の在り方に腹が立ちました。大学入試にあまり出ないので勉強しないで済んだこともそうですが、学校側の教える時間の配合からか、戦後史は省略ということで、何も知らないまま時間は過ぎていきました。 


 戦後団塊世代の我々は、まさに経済成長とともにアメリカナイズされ、我々日本はアメリカに追随すれば何もかも守られているということを、教え込まれたのでありました。そこには、台湾の大きな犠牲があったことなど少しも伺い知ることなく青春を過ごしてきたということです。

 

 そして、普通に結婚をして子供を授かりなんとか育て上げた今、孫までできて、人生前期高齢者になりました。こんな時、台湾の方々の話からのみならず、より詳しく研究されている各方面の有識者の方々から、日本と台湾れざる関係を知ることになり、我々民間外交の果たせる役割に気づかされたのです。

 副会長として、日本と台湾との友好関係の一役を担うことを決心し、微力ながら副会長をお引き受けした次第です。

 

 

 

 

 

                              東京台湾の会 副会長 藤原 慶子